創建時は天台宗に属し、比叡山三千坊の一つであったが、現在は曹洞宗永平寺派天寧寺の末寺で神遊山金地院と号する。平安時代、隣接する山科神社の神宮寺として創建されたと伝えられる。赤穂義士・大石良雄(通称大石内蔵助)の隠棲地として有名で、大石寺とも呼ばれる。本堂に安置する本尊大聖不動明王は智証大師の作とされ、大石良雄の念持仏であったという。本堂手前の石段下には大石良雄の遺髪塚及び宅址がある。赤穂城明け渡しの後、彼はここに隠れてひそかに討ち入りの謀を巡らしたが、事成って後、邸宅、田畑一切を岩屋寺に寄進した。その後、一時は荒廃したが、嘉永年間(1848〜1854)に再興した。 境内には本堂と明治34年(1901)に建立された木像堂があり、浅野内匠頭長矩公の位牌をはじめ、四十七士の木像(250年程前、内蔵助の縁者によって奉納された)や位牌、大石良雄の遺品等が安置されている。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 遺髪塚 |