![]() 藤枝宿 |
| 藤枝は、本多家4万石の城下町でした。徳川家康は田中城で鯛の天ぷらを食べ、それが原因で死んだと伝えられています。街道沿いに八つの村が宿を提供する長く連なる宿場で、田中城はそこからは離れた位置にあります。 近くを流れる瀬戸川は乾期は仮橋が架けられ、通常の水量の時は歩行渡しを利用しました。瀬戸(青島)では染飯(そめいい)が名物でした。疲労回復薬とされるクチナシで強飯を黄色に染め、小判の形にした保存食です。現在でも藤枝駅の駅 弁に染飯(そめいい)があります。 広重は画面一杯に荷物の継ぎ換えをする宿次の様子を描いています。荷を担いで来た人足が汗を拭きつつ馬から荷物を卸しています。これから荷を運ぶ交替要員は荷物を受け取り出発の準備をしています。宿次は各宿場で行われましたので、宿場を「駅」と呼び、それが後年鉄道駅として名前と業務が引き継がれました。 |